
風通しがよくてゆったりした着心地のシャツは農作業に適していたことから 現地の住人や後の日本や中国から渡った移民たちの間で日常的に好んで着られていた。
ハワイのメーカーでは、 Kamehameha Garment, Yat Loy, Iolani, Malihini, Duke Kahanamoku, Hale Hawaii, Kalakaua, Andrade Resort Shops, Holo Holo, Kuuipo, Musashiya, Nani of Hawaii, Royal Hawaiian, Surf’n Sand, Watumull’s, Pali Hawaiian, Kihi Kihi, Kahara, Kiilani, Shaheen, Kuonakakai Authentic Hawaiian Original, Paradise Hawaii, Paradise Sportswear, Mclnerny’s, Liberty House, .etc 他にMade in Hawaiiというノーブランドもあります。 また、メインランドでも数多くのハワイアンシャツメーカーが活躍しました。
ハワイは1898年にアメリカ合衆国に併合され、1920年代にはアロハシャツの原型となるタパ柄(ポリネシア系の柄)のシャツが主にテーラーメイドで作られるようになり、日系人の間でも着物をシャツに仕立て直して着るということが行われます。このころシャツに使われた素材は綿、絹が主流でした。いまヴィンテージハワイアンシャツコレクターが最も価値を見出すレーヨンのハワイアンシャツはまだこの時点では生まれていません。レーヨンという素材自体は既に工業製品化されていたもののプリントの技術や量産技術がそれに追いついていない状態でした。ハワイアンシャツは庶民だけでなく観光客のみやげ物や軍人のみやげ物としてももてはやされました。
1936年にはKAMEHAMEHA GARMENT社、BLANFLEET社というその後のハワイアンシャツを 代表する会社が生まれています。ハワイアンシャツがテーラーメイド品から量産品として代わっていきました。エラリー・チャンが「アロハシャツ」を商標登録したのもこの年の事です。
1941年〜1945年は太平洋戦争がありました。その間は軍需製品以外に量産がされることもなかったのですが、終戦後、ハワイアンシャツがまさに絶頂期を迎えることになります。レーヨンという素材がハワイアンシャツの素材として用いられたのです。もともとは人造絹として開発されたものですが、シルクとはまた違った独特の深みのある色が表現できるようになりました。
ポリエステル素材が登場し、素材自体の扱いやすさ、大量生産向きで安価に製造される事からレーヨンに取って代わってしまいます。このようにレーヨンの時代は、1940年代後半から1950年代のほんの10数年しかない事になります。この10数年がのちのビンテージハワイアンシャツブームを作ったと言っても過言ではありません。ヴィンテージハワイアンシャツのコレクターが血眼になってさがしているのはこの年代のレーヨン素材のハワイアンシャツなのです。例えば、KAMEKAMEHA GARMENT社のヴィンテージものはコレクター間では数百ドルから数千ドルの価格がつくこともザラにあります。